実録・夫の浮気

【夫の浮気】娘の誕生日に帰って来なかった夫

バースデーケーキ

こんにちは。浮気探偵.com~浮気成敗コラム~です。本日は、娘の誕生日に朝帰りをした夫にブチ切れた妻の体験談をお伝えします。まずは登場人物の紹介です。

登場人物
・私 30代半ば
・夫 30代半ば
・娘 5歳

夫の浮気 娘の誕生日に朝帰り!離婚を迫って夫に浮気を認めさせる

バースデーケーキ

夫とは結婚して7年になります。

結婚2年目に娘を授かり、いわゆる普通の夫婦、普通の家庭だったと思います。娘が生まれてから、私はそれまで働いていた職場を退職して、専業主婦になりました。

働いていた頃は、専業主婦になれば少しゆっくりできるだろうと思っていたのですが、初めての育児に時間を取られて、むしろ外で働いて時の方がラクだった気さえしました。

それに、外出する機会が極端に減りました。出掛けると言えば、娘をベビーカーに乗せてスーパーマーケットや公園に行く程度で、常に時間に追われていたため、おしゃれなども一切していませんでした。

今になって思えば、女性としての意識なんてものはなく、完全に「母親」になってしまった私に、夫が嫌気をさしていたのかもしれません。

そんな夫は、家のことを何もしない人でした。

これは子供が授かる前からで、仕事から戻って来た私が急いで夕飯を作り、洗濯だって夫が帰ってから2人分の服を一緒にまわして、休みの日には掃除や片付け、買い出しもしていました。

当時からストレスは溜まっていたのですが、私の方が帰宅時間も早いし、夫の方が稼ぎが良いし…と我慢していました。

子供が生まれてからは、外で仕事はしていないとは言え、育児にかなり時間を取られているのに家事もやらなくてはならず、さらに睡眠時間なども不規則になったので、イライラする日が増え、夫に「少しは家事や子育てに協力して欲しい」と強い口調で言うこともありました。

でも、どんなに私が怒ったところで、夫は「仕事で手一杯。家事と育児を任せるために専業主婦になったんだろ」と言って、非協力的なままでした。

娘の誕生日に帰って来なかった夫

誕生日

今は娘が幼稚園に通うまでに成長しました。

赤ちゃんの頃とは違って、私の睡眠時間は確保されるようになりましたが、この年頃の子は、また違った意味で手が掛かり、目を離すとどこかへ行ってしまったり、言うことを素直に聞いてくれなかったり、体力的には少し楽になっても精神的に疲れることが増えました。もちろん、娘に癒される日も多いですが。

この頃から少しずつ、夫の浮気を何となく察し始めました。

口紅をワイシャツに付けて来るような分かりやすい証拠はなかったのですが、「仕事で遅くなりそうだ」と言って朝帰りになったのに下着からウチでは使っていない柔軟剤の香りがしたり、結婚してから自分で買ったこともないのに新しいネクタイを「自分で買った」と言って持って来たり…。

問い詰めたところでシラを切ることは目に見えているので、どんなに不快に思っても口には出しませんでした。

ところが、私が何も言わないことをいいことに、どんどんと帰りが遅くなる日が増え、しまいには帰宅時間が0時を過ぎることが当たり前になってしまいました。

翌朝、幼稚園のバス乗り場まで送っていかなくてはならないので、私は夫の帰りを起きて待っていませんでしたが、トイレに起きた時などに時計を確認すると、2時や3時でも帰っていない日が多々ありました。

「仕事だった」

いつも夫は同じ言い訳をしますが、「残業代が楽しみね」と皮肉っぽく言うと、平然と「残業代は出ないかもしれない」などと言われました。

嘘って、ついている人だけが真に受けていると思っているもので、だいたいの人は気付いていると思います。私も「しょうもない嘘!」と分かっていましたが、それを証明するものがないため、何も言わずに信じたフリをしていました。

浮気を認められるよりも、ただ口論になることが嫌なだけでしたが。

それでも、娘の誕生日には「いつも寂しい想いをさせているんだから、今日だけは早く帰って一緒にご飯を食べて欲しい」とお願いしました。

当日だけじゃなく、かなり前から「残業になりそうでも調整して」とお願いしていました。

夫は「当日にならないと分からない」と言うだけで、その当日も「夕方になってみないと分からない」と言われました。

結局、娘の誕生日にも夫は朝まで帰ってきませんでした。

離婚届を突きつけて認めさせた浮気

私のことはいい。せめて娘のことだけでも愛して欲しい。

そう願っていたのに、見事に裏切られ、こんな生活に終止符を打とうと決めました。

週に何度も浮気をしているのなら、いっそ、その人と一緒になればいい!!

娘の誕生日の翌日、役所に離婚を取りに行き、捺印したものをテーブルの上に置いて、娘と一緒に実家に帰りました。娘に「じいじとばあばが、お誕生日をお祝いしてくれるって」と言うと、久しぶりに会えることに喜んでいました。

その日も朝帰りだったのでしょう。

着信は翌朝6時にありました。私が出ないで無視をしていると、それから1時間後の午前7時、私の実家に電話がありました。両親は浮気のことを知りませんでした。純粋に「孫の誕生日祝いをして、そのまま数日、泊まっていくだけ」と思っていました。

だから、電話に出た母は呑気に「一緒に来れば良かったのに」と嬉しそうに話してから、私に受話器を差し出しました。むすっとした表情で受話器を受け取った私は一息で捲し立てました。

「離婚をするか、浮気をやめて家族の時間を作るか、どちらかを選んで!決まったら、LINEして」

私が一方的に言って電話を切ると、隣にいた母は驚いた顔をして「それで家を出て来たの?」と聞いて来ました。

「それだけじゃないの。もう我慢ができないの。家事も子育ても私一人でやっている」

涙を堪えながら母に訴えたのですが「私たちの時代はみんなそうしてきた。それに、あんた働いてないじゃないの」と返され、そのまま母とも口論になってしまいました。

結論として離婚は見送ることに

「帰って話し合いなさい」と両親に説得されて、もう1泊だけした後、娘と東京へ帰りました。

私なら最愛の娘が大きくなって、同じ想いをして帰って来た時に、何があっても味方になるのに、母も父も違っていて、それもそれでショックでした。

帰宅後、たった2日の留守なのに、部屋は散らかっていました。缶ビールやコンビニ弁当の容器がテーブルの上に散乱し、洗濯機の中にはワイシャツも色物も一緒になって入りっぱなしになっていました。

おそらく母から「帰らせた」と聞いたのでしょう。その日、夫は夜7時に帰宅し、娘に「少し遅れたけど」と誕生日プレゼントを渡していました。

娘が寝るまで、娘が話す「じいじとばあばとの誕生会の話」を聞いたり、一緒にテレビを観たり、久しぶりに親子らしい時間を共にしていました。

娘が寝てから、夫は浮気を認めて謝罪して来ました。そして、「浮気相手とは別れた」と告げ、これからは心を入れ替えて育児にも積極的に参加する、と約束してくれました。

これまで好き放題してきた夫のことを簡単に信じることはできませんでしたが、実家からの帰り道に色々と考えて、今回だけは許すことにしました。娘の気持ち、養育費のこと、自分自身の生活のこと、いろいろと考えたうえでの結論です。

それ以来、夫は多少の残業こそありますが、遅くても夜9時には帰宅するようになり、娘とも毎晩、会話をしてくれています。

洗濯物を畳んだり、食器を洗ったり、育児だけではなく家事も協力してくれるようになったので、逆に私が「仕事で疲れているのに…」と、夫を気遣えるようになりました。

夫が浮気するかもしれない。

そんなことを、ふと思ってしまうことはありますが、今は娘のためにも余計なことは考えず、お互いを気遣える夫婦でありたい、と夫婦仲の構築を目標にしています。

人気記事ランキングpopularity